Facebook - 上田祥広
2020年6月28 日
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(以下一部引用)

如来すなわち涅槃なり 涅槃を仏性となづけたり 凡地にしてはさとられず 安養にいたりて証すべし

仏とは、煩悩が完全になくなった涅槃の境地に至った方のことである。煩悩が無くなると、唯識が明らかに見えるので、相手に向けた思いがすべて自分へと返ってくることが分かる。だから、相手は自分という真理が分かるので、自分を大事に思うように相手も大事にしてゆかなければならないと分かる。それは慈悲の心であるから、涅槃に到達したならば、仏の境地へと進んでゆけるようになる。だから、涅槃とは仏性となる。では、涅槃にはどうしたら出られるのか?それはなぜ私たちは唯識を正しく知ることができないかを正しく知らなければならない。私たちが唯識が分からないのは、唯識を正しく受け止めると罪悪の報いで自分を否定してしまうから、だから、自己否定を無くさなければならない。自己否定とは、悪を否定する心から生まれる。だから、悪人を見ても否定せず認めてあげることが涅槃に到達する為に必要なことである。この悪人を否定しなくなった世界が浄土(安養)に至りてこそ、涅槃に到達することができるのです。