Facebook - Zoo Taku 
2020年6月28 日
https://www.facebook.com/100027870044411/posts/592776724994657/
(以下一部引用)

■大いなる過ち=「進化論」

「進化論」が内包する問題で最も解りやすい例は「キリンの首」などの説明だろう。あまりに有名な話だが、要するに「高い所にある食物を食べるために首が伸びた」ということだが、なぜこの話が「進化論」の中で語られているのか、問題はそこにある。

進化論における進化とは「種の移行(変化)」を指す。そして生物における「種」とは交配によって子孫を残すことが出来るグループ区分を指す。つまり人間は「人間グループ」の中でしか交配できず、子孫を残すことは出来ない。進化論が主張しているのはこの生物個体が属している「種(グループ区分)」は必要に応じて変化するということである。あるいは「新たな種」が発生するということである。

首が伸びてもキリンはキリンであり、つまりこの話は進化論をまったく説明していないことになる。(同様に鳥のくちばしの形の話も)この辺りに進化論の荒っぽさが表れているのだが、では本題となる「種の移行」についてはどうだろうか?

最もよく使われる例題が「魚類から両生類への移行(変化)」であり、この変化を齎した要因として近年導入されているのが「地殻変動(または大陸移動)」である。この仮説を簡単に説明すると、地球上の大陸は長い時間をかけて移動してきた。その結果、かつては海だった領域が大陸に囲まれてしまい「湖」となり、更にここが隆起して水が消滅して陸地になるという環境変化モデルである。この環境変化に対応すべく「お魚さん」は「水中での人生」を捨てて陸上へと上がったのだと進化論者たちはそのように主張する。

このような仮説が成り立つためには「お魚さん」は何らかの方法で自分が置かれている状況を理解する必要がある。この場合の「理解」とは人間の意識における理解のように自覚が伴う必要はない。生物の隠れた能力が存在し、この能力が環境変化を引き金に発動されるというようなことになるのだろう。もちろんそのような現象は確認されていないし、今後も実証されることはないと思われるが、進化論者たちは大真面目にこの「未知の現象」を主張している。

環境変化(大陸移動)は長い時間をかけて進行するが、その間に魚類は次のような身体的変化を起こす必要がある。

1)鰓呼吸から肺呼吸へと、呼吸器官を変化させる。
2)泳ぐための「ヒレ」が歩くための「足」に変化する。
3)水中に適応していた皮膚が大気中に適応するように変化する。
4)水中での捕食技術は役に立たないので、陸上での捕食技術を体得する必要がある。
5)(逆に)水中での危険回避技術は役に立たないので新たな危険回避技術を体得する必要がある。
6)陸上での「餌」を消化できるように消化器官が変化する。

このような「変化」を経て「種の移行=進化」が成功するということだが、重要なことはこの変化が「大陸移動(環境変化)」と完全に同期している必要があるということだろう。大陸移動は長い時間(数万年)をかけて行われるイベントであり、同様に生物進化も数万年の奥行きが必要なイベントである。この二つの要素が同期していなければ進化そのものが無意味になってしまう。魚類が進化して陸上用の両生類となったが、その時まだ海が陸になっていないような場合、両生類は溺れ死ぬことになる。(苦笑)これを文章化するなら次のようなことだ。

「我々が生息するこの海はあと数万年後には陸地になってしまう。それまでに我々は変身(進化)する必要がある。しかし陸地になるタイミングがズレてしまうと陸上動物となった我々は溺れ死んでしまうから、うまくタイミングを調整する必要がある。」

誰がこの「タイミング」を調整するのか?進化論にはその答えは書かれていない。

ところで「進化の過程」とは具体的にはどのように見えるのだろうか?生物個体は数万年も生きるはずがない。お魚さんはせいぜい10~50年くらいだろう。変化はどのように起きるのか?

1)ある個体の子供に「親にはない特徴」が現れる。
2)この特徴が孫~ひ孫へと継承されてゆく。
3)やがてこの特徴が種族の中で定着する。

例えば「両親よりちょっとだけ大きい」というような特徴が長い年月の中で定着すると全体の平均体長が大きくなるというようなことである。これは「キリンの首」と同様に種族内で起きている変化であり、決して「種族を超えた変化=進化」ではない。魚が両生類になるような進化はもう少し「劇的な変化」が必要であることは進化論者たちも気づいている。そして彼らはその解答を「遺伝子の突然変異」という言葉の中に見出した。

「遺伝子の突然変異」という現象は進化論とは無関係の学問体系の中で発見された生物学的事実であるが、進化論者たちはこれを自分たちの主張に強引に組み込んだ。そして「鰓呼吸」から「肺呼吸」への移行も、ヒレから足への移行もすべて「突然変異」の仕業にしてしまったわけだ。遺伝子突然変異の解りやすい実例は「放射線による細胞のがん化」などが挙げられる。

ある種の放射線を浴びると細胞内の遺伝子が破壊され、本来の機能を失い暴走する。つまり破壊=変異である。変異した結果、もとの性質よりも優れた性質が現出するというようなことは滅多にない。いや、ほとんどない。ってゆーか、俺はまったく知らない!(苦笑)大抵の場合「遺伝子の突然変異」は外部からの「悪影響=放射線、発がん性物質等」によって引き起こされ、生物個体を病的状況に陥れることになる。

従って「鰓が肺になる」とか「ヒレが足になる」というような変化が突然変異によって引き起こされたという主張はあまりに「滅茶苦茶」であり、ましてそれが「地殻変動=環境変化」と同期しながら全体として「計画的に発生した」などという話はSFネタとしても成り立たない与太話だと断言できる。

「進化」という考え方は「生物界には劣等と高等がある」というような区分意識を庶民の間に植え付けてきた。「生物は劣等から高等へ、単純から複雑へと進化する。そして人間は生物の中で最も高等な生物である。」このような定義が常識化している現在において、それを否定する声はあまりに少ない。これは(他の学術的見解と同様に)多分に政治的な力が影響している。例えば「地球温暖化(人為的CO2原因説)」は科学的にはまったく成立しない与太話であることが証明されているにも関わらず、肝心の「学者さんたち」はこれを否定しない。否定すれば自身に支給されている研究費が削られてしまうからである。逆に研究費が欲しければ「環境問題を考える」という論文のタイトルを「気球温暖化問題を考える」とすればより多くの支援が期待できるという仕組みである。

我々はそろそろ「進化」という幻想から解放されるべきだろう。我々が「下等生物」だと教わってきた「大腸菌」には「鞭毛モーター」と呼ばれる驚異的な機械的構造が存在している。

FB_IMG_1593305201376
FB_IMG_1593305204523
FB_IMG_1593305208024