Facebook - 清森 義行
2020年7月31日
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(以下一部引用)

「全ての人に仏性がある」と大乗仏教では教えられますので、譬えと経典の根拠をお示ししたいと思います。
 
全ての人に仏性があることを、『如来蔵経(にょらいぞうきょう)』という経典には、以下の九つの譬えで教えておられます。
 
①蕾(つぼみ)の中に、果実を結ぶ筈の、芯(しん)が隠されているようなもの。
 
②蜜を守っている多くの蜂を追いかければ、蜜が得られるようなもの。
 
③籾殻(もみがら)を除けば、精米が得られるようなもの。
 
④不浄な場所に堕ちても、純金はいつまでも変質しないから、その所在を知れば、取り出して用いることが出来るようなもの。
 
⑤貧しい家にある宝物は、見つけるまでは、役に立たないようなもの。
 
⑥マンゴーの種は、核の内にあって、壊れず、地中に植えると、大樹王となるようなもの。
 
⑦純金で作った像を、ぼろに包んで棄てておくと、知らない人は不浄とみるようなもの。
 
⑧賤しい女性が、転輪聖王(てんりんじょうおう)を孕んでいても、その女性は、自らは知らずに賤しい子供だろう、と思っているようなもの。
 
⑨純金の像を鋳造して、地上に倒して置けば、外面は黒く汚いけど、内面は変わらないようなもの。
 
このように、「全ての衆生は、煩悩に覆われてはいるが、本来、清らかな如来の法身を持っている」と教えられます。
 
親鸞聖人は、「心性もとより清けれど」と和讃に言われているのは、

「自性清浄心」のことであり、阿弥陀仏の仏性が、すべての人に降り注がれていることを教えられています。
 
他の経典で言うならば、

『北本涅槃経』【如来性品】には、貧女宝蔵(ひんにょほうぞう)の喩がありますが、

⑤貧しい家にある宝物は、見つけるまでは役に立たないようなもの、と同じです。
 
また『楞伽経(りょうがきょう)』に、

大価宝垢衣(だいげほうくえ)の喩は、

⑦純金で作った像をぼろに包んで棄てておくと、知らない人は不浄とみるようなもの、に当たります。
 
『法華経』の中には、七喩(しちゆ)が説かれていますが、

その中で、衣珠喩(えしゅゆ)も、如来蔵、仏性を譬えたものです。
 
どんな話かと言いますと、

ある人が友人の所へ行って、酒に酔って眠ったため、友人は旅行に出る時に、宝の珠をその人の衣に縫い付けてやりました。
 
その後に、彼はそれに気づかずに、貧苦に悩み苦しみました。

後日、友人に遇って、そのことを知り、その後は豊かな生活をした、という譬え話です。
 
また『涅槃経』には、仏性を譬えた、額珠(がくしゅ)の喩があります。
 
どんな話かと言いますと、あるところに、力士が額(ひたい)に金剛の珠(たま)をつけて、相撲をしたところ、

倒れたはずみに額に珠がくい入ったので、それに気づかずに、傷を治すために名医の診察を乞いました。
 
しかし、傷の原因が珠にあることを教えられ、鏡を見て、初めて珠の在りかを知った、と言います。
 
このように、衆生は、自らは本来、仏性が有ることを知らないが、

仏の教えを聞いて、これを知ることが出来るのだ、と教えられます。